| home | 
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 |permalink
佐野元春の黄昏

還暦を過ぎたばかりの方かと思いますが、黄昏か老醜か分かりませんが、何を言い出すことやら。昔からこの類の方だったのでしょうか。歌い手がアーティストとか言われて久しいですが、持ち上げすぎです。

引用先がいまひとつはっきりしないのですがが。

-- (引用開始)(ローリングストーン日本版 2016年10月号) --
「SEALDsはなぜここまで嫌われたのか」

てっとりばやく思う

連中は、疎ましかったんだろう
SEALDsの遠慮のない若い賢さが
SEALDsの希求する刹那が
SEALDsの気ままな無頼が

連中は、目障りだったんだろう
SEALDsの不規則な若い正しさが
SEALDsの粗放な思想が
SEALDsの身軽な自立が

連中は、イラついたんだろう
SEALDsの野蛮な若い誇りに
SEALDsがかばう正義に
SEALDsが描く愛国への憧憬に

SEALDsは嫌われたんじゃない、怖がられたんだ
いつの時代でも、自由な存在を怖がる連中がいる

佐野元春
-- (引用終了) --


BlogContest3


スポンサーサイト
サヨク | トラックバック(0) | コメント(0) |permalink
テロに屈した行橋市
なんでも、(福岡県)行橋市の市議の言動が気に食わないということで、市役所に爆破予告があったそうだ。市議を辞職しないと無差別爆発を仕掛けるとのこと。

行橋市の市議会はこの脅迫を追い風とし、この市議に対し謝罪及び必要な行動を求める決議を行った。

まず、差別的に捕らえられるって何だろう。人によっては気分悪く思う人も要るだろう。国会で立ち上がって拍手するだけで非難する人もいるのだから。

必要な行動って何だろう。「謝罪」ときたら「賠償」なんだろうねえ、この人たちの言うことは。そもそも、この脅迫を行ったものが、この市議会に居ないとは限らない。人を陥れるために一本の電話、一通の手紙で良い。このようにテロに屈した市議らは即刻辞任すべきだ。


-- (引用開始)(行橋市議会決議) --
行橋市議会議長  諫 山  直 様
小坪慎也議員に対する決議 (案)

 9月8日に、行橋市役所に脅迫の電話があった。この事により、市民に対し、また、市当局や議会においても多大な迷惑を及ぼした。この「脅迫事件」は決して許されるべきものではない。
 これは、小坪慎也議員が、平成28年4月に熊本地震が発生した際、差別的にとらえられるSNSでの意見発表を行った事を発端としている。
 公人である市議会議員は、住民を代表する立場にあり、議会外の活動であっても良識ある言動が求められるのは当然である。
 市民・国民に迷惑を及ぼすような意見の表明は、行橋市議会の信用が傷つけられたものといわざるを得ない。
 行橋市議会は、小坪慎也議員が品位を汚すことの無いよう、公人としての立場をわきまえる事を求めると共に、謝罪及び必要な行動を自ら行うことを求めるものである。
以上、決議する。

平成28年9月12日

行 橋 市 議 会
-- (引用終了) --


BlogContest3


サヨク | トラックバック(0) | コメント(0) |permalink
朝日新聞社説【悲報】 「共謀罪」法案 政権の手法が問われる

これぞ朝日新聞。辛い気持ちをうっかり吐露しています。

>>ふつうの労働団体や市民団体、企業の活動が制約されるおそれがある
 普通の労働団体、市民団体は共謀罪を心配する必要があると白状していますね。
 普通の企業の心配は税務署との意見の相違と決まったものです。

>>実際に行動に移さなくても、何人かで犯罪をおこす合意をするだけで処罰する。それが共謀罪だ。
 朝日は心配する必要は無いぞ。実際に行動しているだろう。

捏造記事、情報操作記事は消してはなりません。記録として報道機関に義務付ける必要があります。

-- (引用開始)(朝日新聞社説 2016年8月29日(月)付) --
「共謀罪」法案 政権の手法が問われる

またぞろ、というべきか。

 安倍内閣が、人々の強い反対でこれまでに3度廃案になった「共謀罪」法案を、「テロ等組織犯罪準備罪」法案に仕立てなおして、国会に提出することを検討しているという。

 ついこの間おこなわれた参院選ではそのような方針はおくびにも出さず、選挙が終わるやいなや、市民の自由や権利を脅かしかねない政策を推し進める。特定秘密保護法や安全保障法の制定でもみせた、この政権のふるまいである。

 いや、自民党は治安・テロ対策を選挙公約に掲げたうえで多くの支持を得ている。政府はそう反論するかもしれない。

 しかしそこに書かれていたのは「国内の組織・法制のあり方について研究・検討を不断に進め、『世界一安全な国、日本』を実現します」という、著しく具体性を欠く一文だ。連立与党を組む公明党は、公約でこの問題にいっさい触れていない。

 そんな状況で本当に法案を提出するつもりなのか。内容以前に、政権の体質そのものがあらためて問われよう。

 実際に行動に移さなくても、何人かで犯罪をおこす合意をするだけで処罰する。それが共謀罪だ。マフィアなどの国際犯罪組織を取り締まる条約を結ぶために、日本にも創設することがかねて議論されてきた。

 しかし小泉内閣が提出した法案には、▽共謀罪が適用される組織の範囲があいまいで、ふつうの労働団体や市民団体、企業の活動が制約されるおそれがある。


▽共謀だけで罪となる行為が600以上に及び、処罰の網が広くかかりすぎる▽犯罪が行われてはじめて刑罰を科すという刑法の大原則がゆらぐ――といった批判が寄せられた。

 今回の案では、当時の国会審議や与野党協議の到達点を踏まえ、組織の定義などについて相応の修正がなされるようだ。

 だが対象罪種は前のままで、引き続き600を超すという。数を絞り込む方向で積み重ねてきた、これまでの議論はどうなったのか。この間も捜査のいきすぎや不祥事は後を絶たず、そんな当局に新たな力を付与することに疑問をもつ人は少なくない。さらなる見直しが必要だ。

 東京五輪をひかえ、テロ対策や国際協力の看板をかければ、多少の懸念があっても大方の理解は得られると、政権が踏んでいるのは容易に想像できる。

 もちろんテロの抑止は社会の願いだ。だからこそ権力をもつ側はよくよく自制し、人権の擁護と治安というふたつの要請の均衡に意を砕かねばならない。
-- (引用終了) --


BlogContest3


サヨク | トラックバック(0) | コメント(0) |permalink
ロハス「下野真緒」は死んだほうが良い

「おフランスが」なんて言っているのは、赤塚不二夫に馬鹿にされてたのが分からないのかな。ヘイトスピーチ?

文章の内容に批判が相次いだために編集部が追記したというのが楽しいですね。
※ご紹介した方法は、夜涼しくなるフランスでクーラーを使わずに夏を乗り切るための知恵となります。フランスにおいても状況によって、また、高温多湿の日本の夏においても、すべてあてはまるとは限りませんので、部屋の温度や湿度、体調などに応じて、クーラーや扇風機などを併用してください。(2013/8/13 19:45 編集部追記)



まあ、特定のロハスではなく、ロハスそのものの消滅が望ましいですけれど。

-- (引用開始)(MY LOHAS 2013.08.12 23:15) --
「クーラーなし」があたり前! 涼しく過ごすためのフランス人的・3大鉄則

フランスの一般家庭では、クーラーがないのが当たり前。夏の気温は日本と同様に日中高くまで上昇するものの、夜になると涼しく熱波がとどまらないという特徴のせいかも知れません。

それでも、南フランスでは30度を越える日は少なくありません。にも関わらず、クーラーなしで過ごせる理由には、ちょっとした簡単な工夫が生活にしみついているのです。


明け方に空気を入れ換え、日中は雨戸を閉め切る

フランスの家には、「ヴォレ」と呼ばれる雨戸が必ずついており、近代的な家でも、シャッター状のものがついています。フランス人は、完全に冷えきった明け方の風を部屋の中に入れ、太陽が昇り始める日中には、完全にこの雨戸を閉め切ってしまいます。少しでもヴォレを開ければ、強い日射しで部屋の中の気温が急上昇してしまうので、日が沈み始める20時頃までは閉め切ったまま。

「そんなことしたら家の中が暗くなる」という日本人の感覚とは相反するものの、暑さをしのぐにはこれしかありません。家の中は、余程必要がない限り、小さなランプをつけるだけで事足りてしまうのです。
 
「雨戸」は日本の古い民家にはありますが、今はないのがほとんど。その代わり、UVカット機能のついたフィルターを窓に貼っておくだけでも、暑さを大分防げるのだそう。また、厚手の生地のカーテンを各窓にとりつけ、完全に閉め切るだけでもモワッとした暑さを防げます。「部屋にいる時暗いのはいやだ」、という人は、外出時に閉め切るだけでも随分変わります。


窓にシーツを吊るして扇風機をまわす

扇風機を使うだけではまだまだ暑いという場合、フランスではおばあちゃんの時代から伝わるテクニックがあるのだそう。それは、湿らせたシーツを高いところからぶら下げて、扇風機をまわすというもの。こうすることで、少しでも涼しい風が部屋中に送られることに。また、扇風機の前に保冷剤や氷などを置くのも、室温を下げるひとつのテクニック。


体の最大の冷却スポットを冷やす

体の部位で、あるスポットを冷やすと全身のクールダウンにつながります。それは「首」。皮膚に近い場所に太い血管が通っているため、冷却された血液が全身を巡って、体全体を冷やしてくれるのだそう。ぬらしたタオルを巻いたり、保冷剤を入れて巻き付けたりすると効果的。

ほかにも、留守中に使っていない電化製品(電子レンジ、炊飯器、クーラー、扇風機、プリンターなど)のコンセントを切って、待機電力の消費をも節約することができます。結果、省エネとして、地球の温暖化防止に貢献する小さなアクションにもなります。


下野真緒
南仏在住ジャーナリスト/エディター。東京都出身。慶応義塾大学法学部政治学科卒。女性ファッション誌編集部を経てフリーランスエディターに。パリ・南仏へ留学後、フランス南西部に移住。パリ発webmagazine・chocolatmagにて連載コラム「南仏新婚journal」、GLAM/GLAM MOMSサイトで「南フランスのいい予感。」その他執筆中。フランス人のライフスタイルほか、社会問題、時事ネタにも関心深い。


-- (引用終了) --

まあ、本人は南仏と言っているので、パリの数値を挙げても仕方ないのですが、
南仏に相当するのは、日本のどこなのかをきちんと示す必要がありますね。
日本の知識人(ロハスまたはサヨク)ってこんなのばっかり。自分の都合だけで。

下の数値は検証していませんが。保証にあらず。
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-3071.html
フランス パリ
1月 最低 4°C 最高 7°C 降水量 7.2 mm
2月 最低 4°C 最高 9°C 降水量 10.5 mm
3月 最低 6°C 最高 13°C 降水量 12.9 mm
4月 最低 8°C 最高 16°C 降水量 33.3 mm
5月 最低 12°C 最高 20°C 降水量 27.2 mm
6月 最低 15°C 最高 23°C 降水量 14.2 mm
7月 最低 16°C 最高 24°C 降水量 7.9 mm
8月 最低 16°C 最高 25°C 降水量 8.2 mm
9月 最低 14°C 最高 22°C 降水量 15.4 mm
10月 最低 10°C 最高 16°C 降水量 16.6 mm
11月 最低 6°C 最高 10°C 降水量 9.3 mm
12月 最低 4°C 最高 8°C 降水量 23.2 mm



BlogContest3



サヨク | トラックバック(0) | コメント(0) |permalink
寺田悠馬、不気味なのはお前だよ
日本が嫌いならば出て行けば良いのに。どんな事にでも文句をつけるのでしょうから、どんな改善も無駄。本人が日本を出て行くか、日本がどこかの国に占領されて、日本の心を失うまで本人は文句を言い続けることでしょう。

便所の落書きに、便所の落書きで答えるだけなんですけれどね。
こんなのを書きなぐって、金もらえるとは羨ましい立場。すべて自分の頭の中で展開しているどこかの国の人と同じだ。


-- (引用開始)(現代ビジネス) --
「日本の若者は、なぜ暴動を起こさないのですか?」
「平和」な日本社会の落とし穴


コーヒー一杯が300円。支払いをしようと財布を開くと、あいにく1万円札が一枚入っているだけだった。

少し申し訳ないと思いつつお札を差し出すと、チェーン店の帽子とエプロンに身を包んだ女性が、カウンター越しに満面の笑みを浮かべる。

「はい、1万円お預かりします!」

元気一杯なその声に躊躇する私をよそに、彼女は素早く隣の男性店員の方に向き直る。

「1万円入りました。1万円、確認お願いします!」

「はい。1万円確認しました!」

邪心のかけらもない笑みを絶やさない彼らだが、1万円札で300円の買い物をしたのをこうも念入りにリピートされてしまうと、少々肩身が狭い。

「あ、いや、本当に1万円札しかなくて。その、今銀行でおろしたばかりでして。ははは・・・」

と、不要な嘘の一つもつこうかと考えていると、間もなく店員がコーヒーと釣り銭を持って戻ってくる。

「9,700円のお釣りになります。まずは大きい方から・・・5千、6千、7千、8千、9千円のお返しになります!」
親切心だけではない、もう一つの意図

大学時代をニューヨークで過ごして帰国した頃、釣り銭を大声で数え上げるこの慣習に、すっかり困惑した。9千円もの現金を持ち歩いているのを無闇に周囲に言いふらされると、それは「この人を強盗してください」と言われているように思えてしまい、気が気ではなかったのだ。

世界的にも安全な街と言われる東京だが、例えば街中のATMには、防犯用のバックミラーがしっかりと設置されている。ATMから立ち去る際には細心の注意を促す一方で、現金を持ってカフェを出る時には所持金額が盛大にアナウンスされる社会。そのどこかに、矛盾を感じる。

釣り銭の確認が終わったところでほっとして手を差し出すと、店員は馴れた手つきで札束をひっくり返し、今度は裏側から数え始めた。

「もう一度・・・5千、6千、7千、8千、9千円のお返しです!」

私が9千円の現金を所持している事実を、聞き逃した人が一人でもいては大変と言わんばかりに、張りのある声で最後まで数え上げる店員。その顔に張り付いた笑みが、私には不気味に映った。

支払い金額や釣り銭を声に出して確認するのは、日本が世界に誇るサービスのきめ細かさではあろう。だがそこには、素晴らしいサービスというだけではすまされない、日本社会特有の、どこかジメッとしたものを感じてしまう。つまり執拗なまでに釣り銭の確認を義務づけるマニュアルの裏には、親切心だけではなく、「免責」という、決して親切ではないもう一つの意図がどうしても見え隠れするのだ。

「後になって金額の誤りに気付いても、我々の責任ではないですよ。我々はしっかりと数えましたし、それは皆様にも聞こえていましたよね?」

そんな責任逃れじみた台詞を、問題が起きるはるか前から、一方的に押し付けられる窮屈感がそこにはある。
意見の衝突に対して臆病になっている日本人

こうした意図は、東京の街を覆い尽くす膨大な数の看板にも見られる。

例えば、ある区立図書館の新聞閲覧カウンターに掲げられた看板。

「新聞のページをめくる音は、他のご利用者様に不快な思いを与えることがあります ○○図書館」  

一見、利用者間のトラブル防止が主眼であるかのように思える看板だが、利用者はこれを読んだところで、音を立てずに新聞をめくることなどできるはずがない。つまりこの看板は、トラブル防止という本質的な機能を持つ訳ではなく、「図書館としては、一応事前に注意していました」という言い訳を、一方的に形にする役割しか持たない。

あるいは、東京は城南地区のとある高級住宅街。煉瓦造りの駅舎と端正な住宅街を結ぶ桜並木の真ん中に、その可憐な景観を台無しにする大きな立て看板が陣取っている。 

「住宅街につき、バスは20キロ走行をお願いします ○○警察署」

徐行を促す看板は交通事故の予防に役立つかもしれないが、その桜並木を走るバス会社は、じつは一社しかない。警察署は事故防止が目的であれば、看板という一方向のコミュニケ―ションに甘んじることなく、そのバス会社と直接対話をするのが効果的であろう。せっかくの景観を台無しにしてまで設置された看板には、運転手に注意を促すだけではなく、「警察署としては、一応事前に注意していました」といった対外的な弁明が見え隠れするのだ。

私は近年香港で仕事をしているが、成長著しいアジアの金融センターにおいて、所狭しと咲き乱れる看板の姿は過度な商業主義の象徴だという批判をよく耳にする。だが東京の看板と比べると、商魂を隠そうともしない香港の看板の、「この商品を買ってください!」というストレートな叫びはずいぶん無邪気に思えてしまう。親切を装いつつも、さりげなく免責の押し売りをしてくる東京の看板が持つ嫌らしさが、そこに感じられないからだ。

カフェにおける執拗な金額確認や街を覆い尽くす看板など、一見親切だが、じつは独りよがりな表現が多用されるのは、日本人が、あらゆる意見の衝突に対して臆病になっているからだと言えないだろうか。釣り銭の数え間違いを話し合ったり、警察署がバス会社に直接注意を促したりと、ごく日常的に行われるはずのあらゆる対話から、日本社会が逃避してしまっているように思えてならない。
対話からの逃避によって維持される「平和」

先日、ロンドンの大手金融機関に勤めるドイツ人投資家と香港で再会した際、こんな質問をされた。

「最近、日本のニュースを読んで不思議に思うのだが、日本の若者は、なぜ暴動を起こさないのか?」

長年に亘って日本市場に投資してきた彼は、真剣な顔で尋ねてくる。

それは丁度、日本政府系ファンドの産業革新機構が、経営難に陥った半導体メーカー、ルネサスエレクトロニクスに対する1,400億円弱の支援を決めた矢先だった。産業革新機構は過去にも、2,000億円を費やして大手電気メーカーが抱える液晶パネル事業を救済したことがあるが、半導体や液晶パネルなど、その将来性が極めて疑わしい事業に巨額の資本が投入される背景には、産業革新ではなく、従業員の雇用保持という意図が見え隠れする。

こうして親世代の雇用を抱える古い産業が保護される一方で、将来的な雇用を創出するはずの新しい産業への投資が長期間ないがしろにされた結果、若者世代が厳しい雇用難に直面しているのは周知の事実である。さらに、産業革新機構などによる救済策は間接的には国債の発行によって賄われており、積み上がる一方の国の借金が、その返済義務を担う我々若者世代にのしかかるのは言うまでもない。

こうした現実が幅広く知られているにも関わらず、なぜ日本社会では、世代間の境界線を挟んで、より激しい議論の衝突が起きないのか。ドイツ人の彼は、ここに疑問を感じているのだ。

数年前に彼と出会った当時、私はロンドンで仕事をしていたが、戦後EUという共同体を築き上げてきたヨーロッパ人が日常的に展開する議論の熱量に、すっかり魅了された。EUは言うまでもなく、人種、宗教、経済力、歴史感といったさまざまな境界線を隔てて対立してきた人々が、各々の意見をしっかりと述べ、激論をぶつけ合い、時に喧嘩をしながらも、粘り強くコンセンサス(社会的合意)を導きだす作業を繰り返してきた賜物である。

私がロンドンで生活していたのは金融危機の最悪期だったが、共同通貨のユーロ、ひいてはEU自体の存続が危ぶまれるなか、各国の議会やメディア、そして日常生活のあらゆる場面で激論が展開され、その結果として共同体が維持されていく様子に脱帽させられたのだ。

日本を見ると、少子高齢化、雇用不足、財政悪化など構造的な課題が深刻化するなか、創成期のEU同様、そこに住む人々の利害関係が一致しにくくなっている。前述の世代間の問題のみならず、男女間、地域間、産業間などに発生した溝は、今後深まるばかりだろう。

それにもかかわらず、社会の溝を埋めて共生を探るために欠かせない意見のぶつかり合いが、日本ではなかなか表面化することはない。産業革新機構による巨額の支援策が、将来を担う世代の利を損ねることにならないか、広く議論されないのが実情である。その結果、日本は波立たない「平和」な社会であるが、それは激論が行われた末に、人々の洗練された意見がコンセンサスに反映されて生まれた強靭な「平和」ではない。

それはすなわち、摩擦を伴うあらゆる対話から人々が逃避することによって維持されている、ガラス細工のように脆い「平和」なのだ。

構造問題に関する議論を先送りにしていれば、一見平穏な社会の水面下でマグマのようにうごめく火種は、遠くない将来、それこそ暴動などといった形で爆発してしまう。そうなれば、9千円の現金を持ってカフェから立ち去るのが決して安全ではない日本社会が、現実のものとなりかねないのだ。
相手と会話できる自分自身の言葉を持ちたい

日本社会がさまざまな問題を抱えるなか、このように活発な議論が行われないのは、おそらく日常生活の場面において、人々が「免責」に固執するばかりに、互いにしっかりと向き合い、自分の言葉で対話するということをしなくなってしまったからではなかろうか。

カフェで笑顔の仮面を着けたまま「1万円入りました!」と繰り返し、大声で釣り銭を数え上げる店員たち。彼らは間違いなく、丁寧な接客をしているつもりであり、それが彼らに対する一般的な評価でもあろう。

だが彼らは、目の前の客が、1万円を支払ったことや9千円の釣り銭を所持していることを、あまり大声で言われたくないとは夢にも思っていない。決められた台詞を間違えずに言い切ること自体が目的と化すなか、その台詞を受けた相手の違和感を察知する感受性を、彼らはもはや持ち合わせていないのだ。

よくこの種の店で、店員たちが誰に向かってでもなく、だが独り言でもなく、「いらっしゃいませ、こんにちは~」といった台詞を無心に連呼し、客は客で、それが自分に向けられたものと思うことなく、聞き流している情景を目にする。互いに向き合って会話するという、人と人との出会いの大前提さえもが、見失われてしまっているのだ。 

あらゆる構造問題を抱えつつも、これに関するしっかりした議論が行われない日本の将来を悲観すればきりがない。

だがまずは、仮に釣り銭の間違いによる小競り合いが起きても、それに臨機応変に対応し、相手と会話できるだけの、自分自身の言葉を持ちたい。「いらっしゃいませ、こんにちは~」が空虚にこだまする空間で、人と丁寧に接したつもりにならずに、まずはカウンターの向こうに立つ相手を見つめて、その時々に心に湧きあがる台詞を、投げかけてみてはどうだろうか。

ひょっとしたら「何になさいますか?」の先に、思わぬドラマが待ち受けているかも知れないではないか。

-- (引用終了) --

BlogContest3



サヨク | トラックバック(0) | コメント(0) |permalink
| home | next
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。