| home | 
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 |permalink
産経新聞、六四事変
産経新聞が今日は26ページある。いつもより2ページ多い。どうしたのだろうということで、六四事変と呼んでみたりした。

そういえば、二十年前にも中国で何かあったようだ。天安門? 六月四日? うーん、産経新聞を読んでみよう。


BlogContest3



スポンサーサイト
大虐殺 | トラックバック(0) | コメント(0) |permalink
六四
六四といってもお湯割ではありません。

産経新聞の記事が、結構力入れてあるなと思っている次第です。
何と言っても、明後日の六月四日が、天安門大虐殺二十周年ですからね。別に二十も十九も同じといえば同じですが。

産経の世界移行期、第二部 遥かなる天安門 7、本日付、ウェブ掲載はたぶん一日遅れ
の記事を読んで、「おお」っと思ったのだけれど、・・同時に「本当かぁ」と思ったことが次のこと。

「天安門事件の虐殺が無ければ、その半年後に冷戦崩壊が起きることもなかった。ハンガリー動乱では平氏が発砲をためらわなかったのに、東ドイツの平氏はベルリンの壁に押し寄せる人々に向けて引き金を引けなかったではないか。天安門事件の光景が兵士にそうさせたのだ。」

この因果論が「本当かぁ」の世界なのです。というのは、東ドイツの兵隊が、天安門を知っていたかです。動画や記事でで見ていたのかという疑問です。見ていたとしたら、誰が見せたのでしょうか。東ドイツ政府ですか、軍隊ですか。日本人だって、朝日新聞などの工作のために、天安門を大虐殺だと認識していない人が未だに多いのです。だから、厳氏の立場を補正せずに、平気で載せた記者は??と思う次第。

この説は、天安門事件で故国を追われた社会科学者、厳家其氏の言ですね。何か、安易な引用、論理の展開のようで、かなり残念に思います。一般大衆が天安門を見たために、ベルリンの壁に押し寄せたという論理なら、もう少し賛意を表したいと思いますが。・・この学者の論理展開だと、一般大衆は天安門虐殺があったから、ベルリンの壁に近づくことが出来なかった・・となると思うわけですよ。

もうひとつの「本当かぁ」の視点は、東ドイツと中共との人間に対する感覚の違いです。支那では人命というのは多分軽いのです。天安門を見ていなくても、やはり撃てなかったのではないかと思うのです。もちろん、撃てたかもしれません。ただ、その時の指揮官は撃たせなかったということだと思うのです。

中共からの(中国という表記は避けています)日本への合法、違法渡航者にまず教えなくてはならないのは、「日本というのはお国と違って人名が大切な国なのだから、人殺しをしないように」ということだと喝破した人がいます。あー、なるほどなと思いました。日本人は衣食足りて(最低限の)礼節を知っているのです。

いくら、共産国家の東ドイツでも、そうではないだろうと思った次第です。スターリン時代のソ連ならば、なぎ倒したでしょう。ハンガリー動乱、プラハの春を押しつぶした、五十年代、六十年代も同じです。時代が熟成してきたのです。その中で、命が安く、共産党独裁の中共という国だから、大虐殺が起こったのでしょう。


BlogContest3



大虐殺 | トラックバック(0) | コメント(0) |permalink
長崎原爆の日
1945年8月9日、長崎にプルトニウム原爆が落とされた。
wikiから抜き出したものであるが、
「長崎原爆はプルトニウム239を使用する原子爆弾である。 プルトニウム原爆はインプロージョン方式起爆する。 長崎原爆「ファットマン」はTNT火薬換算で22,000t(22kt)相当の規模にのぼる。この規模は、広島に投下されたウラン235の原爆「リトルボーイ」(TNT火薬15,000t相当)の1.5倍の威力であった。」
日本は再び原爆の実験台にされた。

ブログをお持ちの方は抗議の意味で書いてください。数も力のうちです。

合掌

BlogContest3



大虐殺 | トラックバック(0) | コメント(0) |permalink
広島原爆の日
1945年8月6日、それは広島で起こった。それは起こるべくして起きたのかもしれない。というのも、「3月の東京爆撃以後、米軍は日本軍相手ではなく、主に一般市民を相手に戦争をしていた」からであり、「原爆はソ連との政治戦争に使われた」ためである。歴史に残る大虐殺の日が六十数年前にあった。

産経の記事を一読されたい。
アメリカが軍事的に日本を圧倒していた時期に、原爆を使う理由なんて何もなかった。後付けの、しかも他人に検証を許さない理由ならいくらでもつけられる。

【東京大空襲 日米で戦争責任の検証を】
産経新聞、2008.3.9 02:25 http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080309/trd0803090226000-n1.htm
-- ( 引用開始 ) --
 3月10日は63年前に東京・下町一帯が米軍の無差別爆撃で、10万人が死亡した東京大空襲の日だ。広島、長崎の原爆の日(8月6日と9日)とともに、日本人の記憶にとどめておきたい日である。

 米軍の長距離爆撃機「B29」による本格的な本土空襲が始まったのは、昭和19年夏以降だ。当初は、軍需工場などに目標を絞った精密爆撃だったが、翌年1月、米極東空軍司令官にカーチス・ルメイ少将が赴任してからは、住宅密集地などを標的にした無差別爆撃に切り替えられた。

 それは、まず、爆撃目標地域の周囲に焼夷(しょうい)弾を投下し、逃げ道をふさいだうえで絨毯(じゅうたん)爆撃を加えるという非人道的な方法だった。無差別爆撃は東京大空襲の後も、大阪、名古屋などの大都市や地方都市にも行われ、広島・長崎の原爆被害を含めると、50万人以上の民間人が犠牲になったといわれる。

 1922年、ハーグで日米英などの法律家委員会が作成した「空戦に関する規則(24条)」は未発効ではあったが、軍隊や軍事施設以外の目標に対する爆撃を禁止していた。東京大空襲や原爆投下を、当時の米国政府は「戦争終結を早めるため」などと正当化したが、日本の敗色が濃厚な時期に、非戦闘員を標的にした都市爆撃が本当に必要だったのか、極めて疑問である。

 占領下の日本で出版を禁じられたヘレン・ミアーズ氏の著書「アメリカの鏡・日本」には、「3月の東京爆撃以後、米軍は日本軍相手ではなく、主に一般市民を相手に戦争をしていた」と書かれている。ミアーズ氏はまた、米側が日本の旧ソ連を通じた和平への試みなどを知っていながら原爆を投下したとして、「原爆はソ連との政治戦争に使われた」と分析している。

 戦後の戦犯裁判で、B29の搭乗員を処刑した罪に問われた岡田資(たすく)中将の法廷闘争を描いた映画「明日への遺言」(小泉堯史監督)が、今月1日から全国で公開されている。リーダーのあり方や無差別爆撃の非人道性を問うた作品だ。戦争体験者らにまじって若い観客も目立ち、関心の高さをうかがわせる。米国の国際映画祭でも上映され、拍手が鳴りやまなかったという。

 日本と米国の特に若い人たちに、無差別爆撃の戦争責任について、改めて問い直し、検証してほしい。
-- ( 引用終了 ) --

合掌

BlogContest3



大虐殺 | トラックバック(0) | コメント(0) |permalink
米軍は日本軍相手ではなく、主に一般市民を相手に戦争をしていた
米軍の無差別爆撃をどう擁護できますか??

産経新聞の記事をお読みください。
米軍は日本軍相手ではなく、主に一般市民を相手に戦争をしていた



BlogContest3



⇒ 続きを読む
大虐殺 | トラックバック(0) | コメント(0) |permalink
| home | next
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。