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黒いファラオ その2
その1では、意外なことにエジプト文明の上流に別の文明があったことを紹介した。その文明を興した民族が「黒い肌」であったことは、白人からすると衝撃だったかも知れない。その黒人国王がエジプトを統治した。第25代王朝(wiki)である。

第2代の王、ペピ二世は、メンフィスに居城を移し、古いファラオの伝統を守った。ナイル川の治水を行い、次々に新しい建造物を建てた。ヌビアの王の支配下で、エジプトはエジプトらしさを取り戻した。

一方、東方ではアッシリアが覇権を拡大、紀元前701年、ユダ王国(イスラエル)に進行するに及んでヌビア軍とエルテケで会戦。アッシリアはヌビアを打ち破り、エルサレムを包囲したが、何らかの理由で撤退した。

第3代ファラオ、タハルカは野心家であり、ナイル川沿いに荘重な建造物を建てた。カルナクのアメン神殿の巨大柱廊が有名である。また、彼は非常に強力な軍隊を有していた。タハルカの治世初期は、アッシリアが内政が不安定だったため成功をおさめたが、内政が克服されると再び拡大し、エジプトと覇を競うようになった。

タハルカはアッシリアに敗れ、ヌビアに去って行った。エジプトの精神を復活させたヌビアから、残酷な征服民族アッシリアに置き換わることとなった。リビアからヌビア(スーダン)、そしてアッシリアへとエジプトの王朝は移りゆく。ヌビアの統治時代は良い時代だったのかもしれない。

タハルカは、伝統に基づきピラミッド埋葬されたという。一つの民族のDNAが他民族により保存された、つまり価値観が共有されることとなったわけであるが、ローマ帝国を思い起こす。ローマ帝国が長続きしたのは、多民族国家であったにもかかわらず、価値観を共有できたからである。実際に、ローマ皇帝はイタリア本土からだけでなく、征服地からも出ている。

エジプトを勝手に歴史してしまったが、人種差別が無かった時代のヌビア王朝はエジプトにとっては単なる通過点なのだろう。エジプト文明の変質は、神権政治の変化に代表されるのだろうと、勝手に考えている。ローマ帝国の精神はキリスト教によって食いつぶされてしまったけれど、エジプトでは何が起こったのだろう。機会があったら調べてみたい。

註: 人種差別はなかったが、奴隷制度はあった。


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