潮目の変化・・プアール茶が象徴するバブルの崩壊
バブルに踊らされた少数民族ということになるのでしょうか。一時はよい夢を見ましたが、翻弄されて元に戻る。プアール茶は年代物の方が高いので、保存しておけば将来は値段が上がるでしょう。
それにしても、不況時には不要なものに携わると怖いですね。
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成21年(2009年) 1月10日(土曜日)貳
通巻第2448号
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-- (引用開始) --
ブームとなった「プアール茶」も、相場が大暴落
暴騰、狂乱から、プアール茶の産地に大不況、価格は十分の一に
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最近、日本でも女性の健康管理、とくにコレステロール除去、二日酔いに効き目があると言われるのが「プアール茶」。
ウーロン茶より高級といわれ、一部に熱狂的愛好家がいる。
横浜の中華街へ行くと、高級品も売られている。黒っぽく、せんべいのような形状をしているが、かび臭いほどに高級と言われる。
2001年だったか、江沢民国家主席(当時)が雲南省のプアール茶の産地を視察したおりに、皇帝に献上されるかのように提供された最高級のプアール茶は、一斤100万円だった。プアール茶は唐王朝の頃に発見、改良され、歴代皇帝に献上されてきた。
プアール茶の産地は雲南省。とくに南西部のシーサンバンナの中心地=景供の東西に分かれる。多くはラオス、ミャンマー国境近くにある「孟海」(メンハイ)の少数民族、とくにハニ族が、栽培を得意とした。
景供の東50キロの基諾(ジノー族の集落)もプアール茶六大産地の一つ。
雲南省の省都=昆明から飛行機で南下し、シーサンバンナ空港(景供)からジープで二時間ほど南下すると孟海集落が開ける。ここが中国全体のプアール茶の三分の二を生産し、茶農家が3000軒もある。
じつは2001年頃、筆者も孟海村を訪ねたことがあるが、文明が一世紀遅れている感じがした。トイレがなく、小学校のそれを借りた。
町の屋台をのぞいていると「どこから来たか?」と問われたので「日本だ」と答えると、現地民がこういった。
「日本? それって何処にあるんだべ?」。
町中のレストランなどはタイ族、山岳地帯がハニ族など少数民族が農業に従事していた。目を覆うばかりの貧困が広がっていた。
▲少数民族がつくって漢族が買い、ブームを煽って「投機商品」に仕立てた
現地少数民族は商売のセンスが薄く、買い手は漢族である。それも広東、上海からやってくる。
札びらをはたいて買い付ける。1999年から2007年までにプアール茶の価格は暴騰につぐ暴騰を示し、1ポンド150ドルにも高騰していたのだ(1ポンド=453・6グラム)。
茶畠所有の少数民族のなかにはベンツを買ったり、豪邸を建てたり。
ついには2007年の生産量が10万トンに達した。
08年九月、大不況の到来で、ブームは突然去った。
プアール茶の価格は往時の十分の一、茶畑の多くは見捨てられ、高級車を保有した人はガソリン代もない。
同様に中国のバブルは、怪しげな絵画、書画骨董、水墨画、前衛芸術(ファインアート)の価格を押し上げ、首を傾げるような絵画に法外な価格がついた。不動産、株式と同様に、このブームも去った。
プアール茶も、投機の対象だったのだ。
しかし本来のプアール茶は、保存が長期に亘れば亘るほど効果がよく、価格も上がるのが原則であり、基本に立ち返るチャンスがバブルの破綻のあとに訪れたということでもあるのだろう。
-- (引用終了) --
それにしても、不況時には不要なものに携わると怖いですね。
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成21年(2009年) 1月10日(土曜日)貳
通巻第2448号
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ブームとなった「プアール茶」も、相場が大暴落
暴騰、狂乱から、プアール茶の産地に大不況、価格は十分の一に
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最近、日本でも女性の健康管理、とくにコレステロール除去、二日酔いに効き目があると言われるのが「プアール茶」。
ウーロン茶より高級といわれ、一部に熱狂的愛好家がいる。
横浜の中華街へ行くと、高級品も売られている。黒っぽく、せんべいのような形状をしているが、かび臭いほどに高級と言われる。
2001年だったか、江沢民国家主席(当時)が雲南省のプアール茶の産地を視察したおりに、皇帝に献上されるかのように提供された最高級のプアール茶は、一斤100万円だった。プアール茶は唐王朝の頃に発見、改良され、歴代皇帝に献上されてきた。
プアール茶の産地は雲南省。とくに南西部のシーサンバンナの中心地=景供の東西に分かれる。多くはラオス、ミャンマー国境近くにある「孟海」(メンハイ)の少数民族、とくにハニ族が、栽培を得意とした。
景供の東50キロの基諾(ジノー族の集落)もプアール茶六大産地の一つ。
雲南省の省都=昆明から飛行機で南下し、シーサンバンナ空港(景供)からジープで二時間ほど南下すると孟海集落が開ける。ここが中国全体のプアール茶の三分の二を生産し、茶農家が3000軒もある。
じつは2001年頃、筆者も孟海村を訪ねたことがあるが、文明が一世紀遅れている感じがした。トイレがなく、小学校のそれを借りた。
町の屋台をのぞいていると「どこから来たか?」と問われたので「日本だ」と答えると、現地民がこういった。
「日本? それって何処にあるんだべ?」。
町中のレストランなどはタイ族、山岳地帯がハニ族など少数民族が農業に従事していた。目を覆うばかりの貧困が広がっていた。
▲少数民族がつくって漢族が買い、ブームを煽って「投機商品」に仕立てた
現地少数民族は商売のセンスが薄く、買い手は漢族である。それも広東、上海からやってくる。
札びらをはたいて買い付ける。1999年から2007年までにプアール茶の価格は暴騰につぐ暴騰を示し、1ポンド150ドルにも高騰していたのだ(1ポンド=453・6グラム)。
茶畠所有の少数民族のなかにはベンツを買ったり、豪邸を建てたり。
ついには2007年の生産量が10万トンに達した。
08年九月、大不況の到来で、ブームは突然去った。
プアール茶の価格は往時の十分の一、茶畑の多くは見捨てられ、高級車を保有した人はガソリン代もない。
同様に中国のバブルは、怪しげな絵画、書画骨董、水墨画、前衛芸術(ファインアート)の価格を押し上げ、首を傾げるような絵画に法外な価格がついた。不動産、株式と同様に、このブームも去った。
プアール茶も、投機の対象だったのだ。
しかし本来のプアール茶は、保存が長期に亘れば亘るほど効果がよく、価格も上がるのが原則であり、基本に立ち返るチャンスがバブルの破綻のあとに訪れたということでもあるのだろう。
-- (引用終了) --
2009/01/13 Tue

