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すみません、文句垂れますよ、産経さん
ちょっとごめんよ、どいたどいた。謝りながら人を押しのけるわけですが、何か問題ありますか。

ろくに謝るということを知らない韓国人に、文句付けられて恐れ入る産経人もいるのかと驚いた次第。「すみません」と"I'm sorry."を同じだと考えているのかな。"Excuse me."と"I'm sorry."は言い間違えてはいけませんね。でも、日本語の「すみません」は英語"I'm sorry."には対応しないと言い切って欲しかった。「ごめんなさい」もそうだ。

日本語の用法を、なぜに外国人のために狭めなくてはならない。そりゃ、韓国人、中国人は「すみません」、「ごめんなさい」とは言いたくないだろう。

厳格な使い方をしなくてはならない、公の時もあるだろうが、杯を受け取る時に両手で受け取るなり、いろいろと態度は示せるものである。ことばでは「どうも」ですませるということは、そういうことなのだと思うが。

産経新聞、いまひとつ信じられない時があるんだな。まあ、いろいろな社員がいて成り立つのが会社だから、仕方がないのだが。"from Editor"には、リベラルなものがしばしば載る気がする。この場合のリベラルとは鳩山兄が大好きなリベラルという意味であるが。

【from Editor】どうも、すみません
-- (引用開始)(産経新聞2009.6.3 08:13) --
 5月4日付の「談話室」に、韓国から日本語の勉強にきている学生の投稿が載っていた。日本人は迷惑をかけたときも、ありがたいと思うときも、さらには相手のミスのときでさえも「すみません」と言うが、「ごめんなさい」「ありがとう」などと、状況に合った言葉を使う方がいいとの趣旨だった。これには大阪の読者からも、「すみません」は謝るために用いるのが正しいと思うと、賛意が寄せられている(18日付同欄)。

 「すみません」の多用は確かに、外国の人には不思議な言葉遣いに映るだろう。日本人の間でも議論はあるが、国語学者の金田一春彦は「謝ることをよしとする日本人の心の美しさ」ととらえた。席を譲られたとき、「ありがとう」ではなく「すみません」と言う人が多いのも、「私のせいで、あなたが立たなければならなくなった。済まない」という気持ちが表れているというのである。

 目の前で落とし物をした人を呼び止めるのにも「すみません」と“謝って”しまうことがある。これも「声をかけ驚かして済まない」の気持ちがあるからだろう。

 「どうも」も、同じように多用される挨拶(あいさつ)語の一つだ。会ったときも別れるときも、お礼も謝罪も、すべて「どうも」で事足りる。そこで坪内逍遥(しょうよう)は、酒のもてなしにあずかった客が「コリャどうも」と言ったきり、会釈して杯を受け取ったことをこう批判する。「交際は挨拶より成る。挨拶を倹約するは、交際を倹約すると同じことなり。交際を倹約して世を渡るは、どうやら人間の名に背(そむ)くかと思はる」(当世書生気質(かたぎ))

 何とも手厳しいが、ときには「どうも」で済ませた方が適切な場合もあるから、日本語は実に複雑である。例えば通夜などで、故人とはあまり親しくない人が長々と、それもいかにも慣れた口調でお悔やみを述べたのでは、遺族がかえって困惑しよう。「このたびはどうも」の後はモゴモゴと口ごもっておいた方が、よほど気が利いているというものである。

 ただしそれとて万能というわけではない。挨拶語は、大阪の読者も指摘するような厳格な使い方をせねばならないときも当然ある。日本語を学びにきた学生さんには、せっかくの機会だからぜひ、いわく言い難い日本語の妙を知り、言葉ににじむ日本人の心にも触れていただきたい-そう願って、老婆心ながら一言書かせていただいた次第である。

 どうも、すみません。(校閲部長 清湖口敏)
-- (引用終了) --


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